越智玉澄が文武天皇の勅願を受け、今治沖に浮かぶ大三島に大山祇明神を勧請し、法楽所として二十四坊を建立した内の一坊。正治年間(1119〜1200)別宮の大山神社祗神社別当寺として移転。明治の廃仏毀釈により境内を区切り、神社と分かれた。昭和20年(1945)戦禍を破り大師堂を除き焼失。現在の本堂は昭和56年(1981)に再建されたもの。