鐘楼横の墓は、越智孫兵衛のもの。元禄時代の縣村庄屋の庄屋で、代官に直訴し年貢を減らすことに尽力した人物。 そのため享保17(1732)年の大飢饉では、西国では餓死者1万2000人をだしたが、この地では1人の餓死者もださなかったという。以来毎年8月7日には、孫兵衛の慰霊祭が地元の人々によって営まれている。